『霊界物語』入蒙記

第九章 司令公館
 蒙古の英雄盧中将の公館には源日出雄、守高、支那語の通訳王元祺の三名が日夜立籠り、盧の副官温長興、何全英、秦宣、盧重廷の幹部連が日出雄の接待役として、盧の命によつて懇切なる忠勤振りを発揮してゐた。真澄別やその他の満州浪人連は、水也商会その他を策源地として種々の協議をこらし、張作霖の諒解を求むる事に奔走してゐた。日出雄は日々訪ね来る支那の軍人に対し、通訳を介して神の道を説き、難病に苦しめる人等を救ふてゐた。注意深い盧占魁は稍迷信に深い傾きがあり、日々三回ばかり一厘銭を六枚掌にのせて素人流の易占をやつて、その吉凶によりて自分の行動を決定するのだから、何事にも緩慢たるを免れなかつた。日本側の同志が首を鳩めて定めておいた事でも、易占が面白くないと彼盧占魁は、一も二もなく否認して採用しない。これには一同も大変に迷惑を感じてゐた。最後の解決は日出雄の断定によるより道はなかつた。 日出雄は支那人の近侍者や、日本側に一々支那服を調べてこれを着用せしめ、姓名も支那風に変へてしまつた。日出雄は王文祥、真澄別は王文真、守高は王守高、名田彦は趙徹、岡崎は侯成勲、大倉は石大良、萩原は王敏明、唐国別は王天海、佐々木は王昌輝等と改名し、支那人に化け済まして蒙古入を決行する準備に取掛つた。盧占魁は日出雄が支那服を誂へた時、ソツと被服商の主人に云ひ含め、支那にて有名なる観相学者を呼んで来て古来伝説にある救世主の資格の有無を調べむため、日出雄の骨格や容貌や、目、口、鼻、耳等の形から胸のまはり、手足の長短等から、指の節々、指紋等に至るまでを仔細に調べさせた結果、所謂三十三相を具備した天来の救世主だと云つた観相家の説に、随喜の涙をこぼし、愈々蒙古王国建設の真柱と仰ぐに至つたのである。かかる注意の下に盧占魁が日出雄の身体を調べてゐるに拘らず、日出雄は索倫山の本営に行つて盧占魁が自白するまで、そんな事とは気が付かなかつたのである。観相者は特に日出雄の掌中の四天紋と指頭の皆流紋を見て左の如き断定を下した。   掌中四天紋=乾為天大哉乾元万物資始乃統天雲行雨施品物流形大明終始六位時成時、時乗六竜以御天乾道変化各正性命保合太和乃利貞出庶物万国咸寧。   指紋皆流=坤為地至哉坤元万物資生乃順承天、坤厚載物徳合旡彊、含弘光大品物亨牡馬地類行地旡彊柔順利貞君子攸行、光迷失道、後順得常西南得明乃与類行東北喪明乃終有慶安貞之吉応地旡彊。 盧占魁は更に日出雄の掌中に現はれたるキリストが十字架上における釘の聖痕や、背に印せるオリオン星座の形をなせる黒子等を見て非常に驚喜した。そしてこの次第を哥老会の耆宿揚成業や蒙古王の貝勒、貝子鎮国公を初め、張彦三、張桂林、鄒秀明、何全孝、劉陞三、大英子児、賈孟卿等の馬賊の頭目や、張作霖部下の将校連にもこれを示し、天来の救世主だ、この救世主を頭に戴いて内外蒙古に活躍すれば成功疑ひなしと、確信してゐたのである。それ故日出雄は蒙古に入つても凡ての上下の人々より、非常な尊敬と信用とを受けたのである。   ○ ここに日出雄と盧占魁と張作霖との関係について少し述べる必要がある。張作霖は最近の奉直戦によつて、自分の兵力の足らない事を非常に憂慮してゐた。万々一再び奉直戦が始まらうものなら、軍備の整はない東三省は忽ち敗北の運命に陥り、満州王として東三省に君臨する事の不可能なるを知つてゐた。そこで張作霖は何とかして、自分の勢力を内外蒙古に張つて北京を背面から圧迫し、脅威し、奉直戦の勃発を防がうと内々思つてゐたのである。そこで彼は盧占魁を利用して、内外蒙古に進出せしめ、アワよくば内外蒙古を完全に吾手に入れて見たいと思ふ野心を持つてゐた。今回盧が日出雄と提携して蒙古に大本王国を建設するについても、宗教心の尠い馬賊上りの張作霖は日出雄に対しては、あまり尊敬を払はなかつた。ただうまく盧を介して自分の目的のために利用しようと思つたのみである。さうして狡猾な張作霖は盧占魁自身の金にて武器を調達せよと云つて、自分は手ぬらさずに内外蒙古を手に入れようとしたのである。盧占魁も張作霖のやり方に対しては、内心非常に憤慨し、応援をしてくれた日出雄に対し、張作霖に対する尊敬と帰依とを移して傾注する事となつた。そして日出雄に向つて盧は一切万事その指揮に服従する事を誓つたのである。奉天管内においては西北自治軍と云ふ名称を旗印となし、愈索倫山に行つて陣営が整つた上は、内外蒙古救援軍と改称し、日出雄を総大将として大経綸を行ふ計画を以て、索倫に進出する事を企てたのである。 日出雄は盧の公館に滞在中、またもや数百の詩歌を詠んだ。その一部、
 路遠蜻蛉州  企回天鴻業 同志僅数名  頭戴大神教
   ○
 部下十万兵  皆是決死士 志節簡直強  神命奉頭進
   ○
 国のため世人のために吾は今海外万里の旅にたつかな 言葉の通はぬ国に渡り来て生れもつかぬ唖となりぬる 聖地にて見たる月影奉天に眺むる空は殊にさやけし 大空に澄み渡りつつ高光る奉天の月殊にさやけし 小夜更けて月のみ独り大空に澄み渡りつつ霜に宿かる 澄みきりし月の鏡を眺めつつ心うつしてしばし佇む 吾友は自転倒島にありながら仰ぎ見るらむ瑞月の空 月見れば益々心勇み立つ清き姿のたぐひなければ 東天の空に輝く満月は吾行末の光とぞ思ふ 天の原打仰ぎつつ眺むれば日本に同じ月のかかれる 東天の大空高く澄む月は吾魂の鏡なるらむ 澄み渡る今宵の月のさやけさに吾魂のささやきを聞く 明らけき清けき今宵の月影を吾恋ふ人の姿とや見む 吾恋ふる人の姿の映れかしと月の鏡を打仰ぎ見る 吾思ふ人の姿のうつれるかと月の中なる黒点を見る
(大正一四・八 筆録)