「枝毛の証」

『大地の母』十二巻

その夜、澄は王仁三郎の横に蒲団を並べて敷きながら、敷蒲団の下にそっと研ぎすました出刃庖丁を忍ばせる。 むし暑い夜で、王仁三郎は苦しげに幾度も寝返りを打つ。 この男の妻となってからの二十年、数知れぬ思い出をつくった。楽しいと言うより、血の滲むばかり苦しい思い出を。 人間としては、これほど暖かく思いやりの深い人はないと思う。役員たちの目を逃れて、乳呑み児の直日を連れ、夫と質山ヘ柴刈りに抜け出したあの時が、思えば一番楽しかった。 あわてて澄は楽しい思い出から心をそらし、小松林や天照彦の自由放埒、勝手気ままな日頃の行為を数えたてる。 確かに久姉の言う通り、王仁三郎にお道の妨害をさせているのは、出生の秘密の血につながる神々の系統であろう。血は争われぬという。夫のある限り、艮の金神の世がこぬとすれば、他に仕方はないのだ。一度は、畳針を呑み下して、自分を死の淵に立たせた澄であった。あの時は「生きよ」と神が命じたのだ。今、「死ね」と言われれば、命を捨てるくらい何であろう。 わたしもお詫びに後を追うさかい、許して……。 規則正しい夫の寝息が聞こえ出すと、澄はゆっくり千まで数えて待った。もう千、さらに千……ランプの淡い光が、夫の憔悴した顔を映している。 澄は身を起こして、蒲団の下から出刃の柄を掴み出す。 ふいに、王仁三郎が、はっきりした声でどなった。「こら、わしの髪つかんで何さらすんじゃい。よい気になりやがって……」 はっと澄は出刃をかくし、息をつめる。腋の下に気味悪い冷や汗が噴き出てくる。 王仁三郎は薄目をあけて、澄を見た。「何やお前か。まだ起きとったのかい。今けったいな夢を見たぞ。死んだ中村の奴がわしの髪つかんで、腹に出刃包丁をつきつけくさった」「そんな阿呆なこと、わたしがついてますわな。体が弱ってなさるさかい、そんな妙な夢を見てんでっしゃろ」 澄は震え声で言い返したが、王仁三郎はもう寝息を立てている。 この人は夢の中でも人の心が見透しなのか、それにしても中村竹吉が……夕方、四方平蔵に言われた言葉と思い合わせれば、空恐ろしかった。 どうしよう、どうしようと思い惑い、悶えるうち、澄は夢とも現ともなく、神の声を聞いた。「今度の世の立替えをいたす者は、髪の毛が長う枝毛になっておるぞよ。決して疑うてはならぬ」 はっとはね起き、王仁三郎の髪をつかんだ。夫が目ざめる心配などけし飛んでいた。早く実証を得たい一念で、ランプを引き寄せる。 技毛は、普通それから先、成長が止まるものである。だのにどうだ、王仁三郎の髪はどれも根本近くから二つ、三つ、四つ、五つと枝毛に別れ、そのどれもが普通の髪のように長くのびきっている。王仁三郎の髪が常人より遥かに豊かに房々としている理由がこれで解ける。 ――この人は生神さんや。神さまは間違うてへん。 ほろほろと涙のこぼれる頬を、澄は夫の髪にすり寄せる。 翌朝、住の江に乳を飲ませていると、四方平蔵が声をかけた。「二代さん、今日は何かよい事でもござったかいな。昨夜と違うて、あんたはんの後ろに光がさしているようや」「平蔵はん、よう見とくなはれ。わたしの後ろにまだ中村はんの霊がおってですかい」「おらん、おらん、二代さんの神力で、中村も逃げ出してしもたんじゃろ」 平蔵は、満足そうにうなずいた。 明治二十七年に入信以来二十四年間、時には中村と組み王仁三郎に楯つきながらも、四方平蔵は艮の金神への信仰を微塵も揺るぎなく持ち続けた。今では大本の最長老である。澄に対しても肉親に近い愛情を抱いていた。 平蔵の老いた顔には喜びが揺れる。「平蔵はん、先生はやっぱり生神さんやなあ……」「この大本には生神さんは二人おってや。厳瑞二霊、もう一体のように溶け合うておられますわい」 気がつくと、いつの間にか龍神の目は、澄のまわりから消えていた。「あの時、中村はんの霊がわたしに憑いて、隙あらばと先生を狙っていたのや。龍神さんがわたしの回りに押しかけて守っていてくれちゃったんじゃろなあ」と後に澄は語っている。