「貞操論」『霊界物語』六八巻
第一章 貞操論〔一七二五〕
 樹々の緑も浅倉山の嫩芽、巻紙を拡げて一枚一枚楕円の舌をはみ出し、晩春の風に揺られて無言の囁きをつづけてゐる。春の終りとはいへ、高地帯の山奥では都路に比して一ケ月ばかり木の芽の生立ちも遅れてゐる。 虎、狼、獅子、熊の哮り声、小鳥の百囀り、春風の木々の梢をもむ音、それより外に聞くものもなきこの山奥に、その昔タラハン国の左守の司と仕へたるシャカンナは、年老いたりといへど勇気は昔に衰へず、一朝、時を得れば潜竜の淵を出でて天に躍るが如く、天下国家のために昔とつたる杵柄の逞しき両腕を国政の上に試みむとし、数百の部下を人跡稀なる山奥に集めて回天の神策に身心を傾けてゐたが、フトした事より、行く年波と共に天命を知り山寨に火を放ち、数多の部下を解散し、今年十五の春を迎へた最愛の一女スバール姫を老後の力となして、一陽来復の時を待ちつつあつた。 あたかも天から降つて湧いたるごとく思ひがけなきタラハン国のスダルマン太子が、吾が政敵なる左守の伜アリナと共に、雨露を凌ぐにたゆべき茅屋の破れ戸を叩くに会ひ仮寝の夢を破られ、十年振りにて主従の対面をなしたる数奇きはまる運命に、大旱になやんで萎れかかりし木の葉の、雨露の恵みに遭ひて生々と復活したるが如き心地し、日夜腕を扼してタラハン城の空を眺めて再生活躍の希望を漲らしつつあつた。 日頃淋しく感ずる猛獣の声も、悲哀に満ちた百鳥の囀りも、この頃は何となく生気溌溂として己が出盧を促すものの如く、谷川のせせらぎの音にも、梢をわたる風の音にも、希望の声が満ちてゐるやうに感じられた。 俗臭紛々として罪悪に満ちたる暗黒の社会、人面獣心の化物どもが白昼を横行濶歩する都大路の塵にも染まぬ天成の美人スバール姫が、浅倉山の山奥、玉の川の上流、清く流れて激潭飛沫をとばす岸の片辺、千畳の岩石をもつて区劃された川の淵、淋しげに立てられた掘り込み建ちの茅屋に、鬼をも挫ぐ父のシャカンナと共に、無心の生命を保ち、千歳の苔に玉の肌を包まれて、今まで社会に落伍した人間の屑小盗人どもに、女帝のごとく、王女のごとくもてはやされ、人生の春を過ごすこそ、せめてものスバール姫が心の誇り、もしこのままにして世に出でずば、獣臭き山男の妻となるか、泥棒の妻となつて女盗賊の頭目として一生を終るか、但は見るべき花として時の力に散り失せ実を結ばず、木の根の肥料となるか、さもなくば可惜美人の生涯を真黒の毛脛に抱き通され、果敢なき一生を送るより外に道なき姫の運命、人間としては余りに艶麗に過ぎたるその容貌、諺にいふ美人の薄命、結縁の神に憎まれてこの山中に葬らるべき可惜もの。さりながら、父の権威と吾が身の年若きに過ぎたるを幸ひ、悪性男の暴力に木の根を枕の犠牲にもならず、今日十五の春まで身を犯されず、霊を弄ばれず、春秋を送り迎へして来たのは、せめてもの彼の少女にとつては幸ひである。六才の春より父親の手に育てられ、浅倉谷の清流、岩にせかるる谷の淵瀬の水鏡はありながら、地を撫でるごとき長き頭の黒髪を無雑作にクルクルとまきつけて結び、浮世の風の響きさへ知らず、もし人あつてこの美人を都大路の真中につき出さうものなら、万金を費やしても見られぬはずの玉を伸べたるごとき腕も脛もあらはに惜し気もなく、タニグク颪に散り来る木の葉の屑に弄ばれ、一片の人工も施さず、天成そのままの玉の肌をこの山奥に横たへ、暇ある時は、獅子、兎の安息所たる山林に別け入つて、薪を背負ひ、炊事万端まめまめしく父の労苦を助けてゐた。紅白粉香油などの補助的粧飾品は生れて以来、見た事もなく、身につけた事もない、ただ惟神のままに生立つた。原野に咲き匂ふ花の粧をこの山奥に人知れずさらすのは、さながら造化の技巧をこらして作り上げた天真の美貌、どこへ転がしても玉は玉、如何に粗末でも蘭麝は蘭麝の香を備ふる道理、どこともなく言ふに言はれぬ床し気がある。 蔭裏の豆も時節が来れば花を開き果を結ぶ道理、今年十五の春を迎へたスバール姫も、天極紫微宮より降らせ給ひしエンゼルにも等しきスダルマン太子の、どこともなく雄々しき男らしき床しき容貌とその謦咳に接してより、時ならぬ顔に紅葉を散らし、梅花一輪春陽に遭うて綻び初めし心地、子供心にも恋てふものの怪しき魔物に捕捉さるるに至つた。雨の朝、風の夕べ、少女は浅倉谷の清流に向かつて両手を合せ、激湍飛沫の猛り狂ふ有様を見てはスダルマン太子の雄々しき御心と崇め、清き溪流を眺めては太子の御心の清き鏡と拝し、小鳥の声、梢をわたる風の音も太子の甘き言葉のごとく思はれ、林に咲き匂ふ緑、紅、白、赤、黄色の花を眺めては太子の御顔を偲び、満天の星光を圧して昇る月影に対しては、あの円満なる月の顔は正しく太子の清き、やさしき御姿、吾が生命の綱と憧がれ、物に接し、事に触れ、森羅万象ことごとく、一として太子の声ならざるはなく、太子の姿ならざるはなき、深くも恋の暗に滝津瀬のおちくる如く強度の勢ひをもつて、千尋の深き底に沈みゆくのであつた。 シャカンナはスバール姫のこの頃の様子の、如何にも腑に落ちぬに心を悩ませ、娘の親として、あらむ限りの思索を廻らし、時々溜息を吐くことさへあつた。ある時シャカンナはスバール姫に向かひ、少しく声を潜め、姫の顔を覗くやうにして頬杖をつきながら、『スバール姫よ、お前も今年は十五の春を迎へた年頃の娘、この親として自分もお前の身を見るにつけ、あたら名玉をこの山奥に埋めたくはないのだ。俺は一旦左守の司の職掌を退き、君側に蟠まる奸邪侫人を打ち払ひ、タラハン国城下の安寧秩序を保ち、一は王家のため、一は国家万民のため、時節を待つて一臂の力を揮つて見むと、この山奥に山賊どもを呼び集め、捲土重来の時期を待つてゐた。待つ事ほとんど十年、されど数多の部下は集まつて来ても、一人として心の底を打ち明かし大業遂行に対し片腕の力になるものも出て来ない。それがため父はホトホト世の中が嫌になり、お前も知る通り、タニグク谷の山寨に火を放つて、玄真坊の後を追つてゐた部下の不在中、この浅倉谷の隠れ家にお前と二人の佗住居、味気なき余生を送らむものと覚悟を定めてゐたが、雄心勃々として脾肉の嘆に堪へず、一層のことこの世の思ひ出にタラハン城へただ一騎乗り込み、君側に蟠まる悪人輩を打ち亡ぼし、国家の災を除き、俺はその場で自殺をなして罪を謝せむかと、幾度かとつおいつ思案はしてみたが、天にも地にも親一人、娘一人の其方を後に残して先立たむも、そなたに対して不憫であり、大悪人の娘と、そなたが世の人に後指さされるのも心苦しく、それ故、男らしき働きも得なさず、躊躇逡巡女々しくも今日まで、あたら光陰を空しく費やして来たのだ。しかるに天の恵みか、地の救ひか、ゆくりなくも先月の今日今頃、夢見るごとくスダルマン太子が吾が茅屋に踏み迷つて来られ、金枝玉葉の御身をもつて、この茅屋に一夜を過ごされたのも何かの神のお引合せであらう。つらつら思ふに、神様はこのシャカンナに一時も早く山を出で都に上つて、国家の危急を救へとの暗示のやうにも考へられる。それについては、そなたは幸ひに世にも稀なる美人、万々一冥加に叶つて太子様のお心に召したならば、それこそ父の大望にとつても国家にとつてもこれくらゐ都合の良い事はない。しかしながら何事も人間は運命に左右されるものだから、窮極するところは到底人間力ではいかないだらう。そしてまた男女の関係といふものは実に不可思議のもので、何ほど太子様がお前を寵愛遊ばしても、お前の心に太子を恋慕する心がなければ、無理に親の権威をもつて結婚を強ひる訳にも行かず、父の眼より観察すれば、どうやら太子様は、其方に思召しがあるやうに感ぜられた。しかしながら結婚は恋愛によつて成立するものだから、何ほど少女だといつても、吾が娘だといつても、こればかりは父の自由にはならない。お前の考へはどう思つてゐるか、遠慮会釈は要らぬ。切つても切れぬ親娘の仲だ。そして、お前の一生一代の大事件だ。予め、お前の心をこの父に聞かしてくれ。お前の心を聞いた上、この父にもまた劃策するところがあるから』 スバール姫は少女に似合はず、性質怜悧で山の奥に育ちながら、人情の機微に比較的通じてゐた。そして十二三才の頃より、恋愛といふ事に趣味を感じ、数百の部下の面貌を一々点検して、顔容や、性質や起居振舞等に注意し、男子に対する一種の批評眼を備へてゐた。しかしながら、どの男を見ても心性の下劣な、容貌の野卑な山猿的人間ばかりで、スバールが一生を任す夫として選むべき玉は一つも見当らなかつた。六才の時、タラハン城を後に、この山奥に父の手に育てられ、荒くれ男の奇怪な面貌をした小人輩ばかりを眺めてゐた彼女は……世の中の男といふものは凡てこのやうな獣めいたものだらうか。何れの人間を見ても左右の目が不揃ひであつたり上下になつてゐたり、鼻柱が右へ曲つたり左へ曲つたり、口の形から歯の生え具合、起居振舞まで見て、……実に男子てふものは情けないものだ。この世の中は何故、こんな化物ばかり棲んでゐるのだらう。アア情けない浮世だな……と、いつも落胆失望の淵に沈んでゐたが、フトした事からタラハン城の太子の君に巡り合ひ、その気高き姿に憧がれ、また左守の伜アリナの容貌も捨て難きところがある。これを思へば、……今まで十年間眺めて居たやうな屑男ばかりではあるまい、世の中には百人に一人や二人は人間らしい面をした男もあるだらう。太子様がお帰りの時、自分の手を固く握つて、「これ、スバール、きつと迎へに来るよ」と耳の側で囁き遊ばした時の嬉しさ。しかし、かやうな山奥に育つた世間知らずの妾をば、どうして永遠に寵愛して下さる道理があらう。地位といひ容貌といひ、名望といひ、比稀なる若君なれば、都大路には立派な女も沢山あるだらう。そして太子様の権威と富力によらば、いかなる天下の美人も、引寄せたまふことが出来るであらう。太子様は、どこまでも恋しい。寝ても覚めても忘れられぬ。何だかこのごろは吾が心さへボンヤリとしてきたやうだ。しかしながら都大路に出て、幸ひに太子様の御寵愛を蒙つたところでさへ、夢の間の朝顔の花、朝の露が乾けば夕べに萎るる道理、あたら罪を作るよりも一層のこと、吾が恋ふる心を太子様に奉り、一生の操を守つて父と共にこの山奥に朽ちむか……と、雄々しくも恋の焔を自ら消してゐた。そこへ父のシャカンナが意味ありげな言葉を聞いて、スバール姫は何とはなしに前途有望のやうな感じがムラムラと湧き出で、俯向きながら、顔を紅に染め、恥づかしげに言ふ。『お父様、遠慮会釈なく思つてゐる事を言へとおつしやいましたから、今日は妾の一生の一大事、何もかも思つてゐる事を申し上げます。どうか叱らないやうにして下さい』『なに、叱るものか。どんな事でも思つた事を父の前で言つてみるがよい』『そんなら申し上げます。もうかうなつてはお隠し申すも及びませぬから、太子様がお帰りの時、妾の手を固く握り「スバール姫よ、しばらく待つてゐよ。きつと迎へに来てやる」とおつしやいました。自惚れかは知りませぬが、太子様は……あの妾にラブしてゐらつしやるでせう。そして妾も……』『アツハハハハ、さうだらう、さうだらう、やつぱり父の睨んだ通りだ。そして太子様が迎へに来て下さつたら、お前は喜んで行くだらうな』『ハイ、それは参らぬ事もございませぬが、何といつてもラブは神聖なものでございますから、よほど考へさしていただかねばなりませぬ』『ウン、それもさうだな。何といつても一国の主権者におなり遊ばす御方、至尊至貴にして犯すべからざる王太子様の妃になるのは、お前も女としては無上の出世だ。お前のためにこの父も枯木に花の咲く時節が来るのだから、どうか太子様の思召しがお前をどこまでも妃にするといふ考へが定つたならば、父のためにもなる事だから喜んで行つてくれるだらうな』『父のためには孝養を尽すを以て子たるものの務めといたします。父のためと恋愛のためとは道が違ふぢやありませぬか。もし妾の恋愛が完全に成就したのならば、副産物としてお父様も幸運に向かはれるでせう。お父さまの幸運はつまりこの恋愛が成就するからでせう。妾はお父様に対しては孝養を主とし、夫に対しては恋愛を主とするものです。それが至当の道理と考へてゐます』『アツハハハハ、何時の間に、そんな理窟を覚えたのだ。夫が主で父が従とはチツとひどいぢやないか。それでは倫理学上由々しき大問題だ』『そんならお父様の孝養を主として恋愛を一生葬りませう。その代り、この山奥に一生朽ち果てる覚悟でございますから』『そんな、ならぬ事を言ふものぢやない。親の言ひ条について太子様のお妃になれば、孝養も恋愛も完全に成就するぢやないか』『孝養と恋愛が両方円満に成功すれば、こんな結構な喜びはございませぬ。しかしながら世の中には、さう誂へ向きに行かない事が沢山あるでせう。すべて恋愛なるものは愛情から来るものです。愛情はどこどこまでも拡大すべきもの、また流動性を帯びてゐるものですから、倫理や道徳や知識をもつて制縛し得るものではありませぬ。もし恋愛に理智が加はれば恋愛そのものは、千里の遠方に逃げ出してゐるぢやありませぬか。智性と意性すなはち理智と愛情とは到底両立しないものでせう』『何時の間にか、誰も教へないのに、こましやくれたものだな。ほんとに「油断のならぬは娘だ」といふが、この父もお前の話を聞いて荒肝を挫がれてしまつたよ』『お父さまは昔気質でお頭が少し古く出来てゐますから、恋愛問題などに容喙なさる資格はありますまいよ。どうかこの問題は妾の意志に任して下さいませ。古い倫理や道徳説に囚はれて、可惜女の一生を霊的に抹殺される事は堪へられませぬ。神聖な霊魂を男子に翻弄される事は、女一人として堪へられない悲哀ですから、たとへ太子様が妾を寵愛して下さるにしたところで、妾が太子様以上に愛する男子が現はれたとすれば、その時はお父様はどう思ひますか』『これは怪しからぬ。「女は三界に家なし」といつて、夫の家に嫁いだ時は、いかなる不幸も不満も堪へ忍ばねばならぬ。そして舅姑によく仕へ、親や夫の無理を平気で甘受せねばならぬものだ。それが女として最も尊い務めだ。その考へがなくちや到底女として立つ事は出来ないぞ。それが女の貞操だからのう』『ホホホホ、それだからお父さまは頭が古いといふのですよ。男女は同権ぢやありませぬか。男子が一個の人格者ならば、女だつてやつぱり一個の人格者でせう。人格と人格との結合によつて、初めて完全な恋愛が行はれ、結婚が成立するのでせう。恋愛は恋愛として、どこまでも自由でなけれねば、結婚といふ関門を通過した女はほとんど奴隷的牢獄に投ぜられたやうなものです。男子は好きすつぽうに己が愛する女を幾人も翻弄し、女一人に貞操を守れといふのは不道理至極なやり方ぢやありませぬか。たとへば太子様が妾をラブし、妾が太子様を此上なくラブしてる間は、互ひに貞操も保たれ、完全な結婚の目的も達するでせう。もし太子様において妾以上に愛する女が出来た時は、太子の恋愛は既にすでに妾を去つて他の女に移つてるぢやありませぬか。それでも妾は恋の犠牲者として霊的死者の位置に甘んぜねばなりませぬか。そんな不合理な事が、どこにございませうぞ。これに反する場合すなはち妾が太子様以上に恋愛する男子が現はれた時は、またその男子に恋愛を移すのは恋愛そのものにとり自然の成行きでせう』『オイ、娘、何といふ馬鹿な事を言ふか。誰にそんな悪知恵をつけられたのだ』『ハイ、妾の良心が、さう囁いてゐます。あのトンクだつて、妾に始終そんな話を聞かしてくれましたよ』『エー、トンクの野郎、碌でもない事を魂の据はらない愛娘に吹き込みやがるものだから、娘の心に白蟻がついて瑕物にしてしまひやがつた。表面からは天成の美人も、腹の中からは悪魔がすでに棲ぐつてゐる。こんなものを畏れ多くも太子の妻に奉る事は出来ない。エー、困つた奴だな』と腕を組み、太き吐息をつく。『ホホホホ、お父さま、何でもない問題ぢやありませぬか。よく考へて御覧なさい。女子ばかりに貞操を強要して男子に貞操を強要せないのは家庭紊乱の基となり、ひいては国家の破滅を来たす源泉となるものですよ。女子に貞操が必要なれば男子にも貞操が必要でせう。もし夫たるもの、その妻の他に妻に勝つて愛する女子が出来、私かに恋愛を味ははむとする場合、その妻は、その夫に対して叱言を言つたり、悋気をしてはいけませぬ。真に夫を愛するのならば夫の意志にまかすのが妻たるものの雅量ぢやありませぬか。女房の恋を夫が強圧的におさへ、「自分を無理に愛せよ」と迫り打擲したりして「自分を絶対的に愛せよ」といふのは決して理解ある男子とは言へませぬ。それくらゐの雅量がなくては、どこに男子の価値がありますか。また、妻も妻で、自分の愛する夫が、その妻よりも愛する女が出来た時、夫の愛する恋愛を遂げさしてこそ、真に夫を愛するといふ事になるのでせう。夫は女の目より隠れ忍んで僅に恋愛を味はひ、妻は妻でまたヒヤヒヤビクビクしながら他の男と恋愛を味はふやうな事で、どうして家庭が円満に行きませう』『馬鹿いふな、そりや畜生のする事だ。爺は勝手に女房以外の女を持ち、女は夫以外の男をもち、そんな不仕鱈な事して家庭が円満に保たれるか。家庭円満が聞いて呆れるぢやないか』『ホホホホ、お父さまの没分暁漢には困つてしまふわ。夫が妻の恋愛を嫉妬したり妨害したり、妻が夫の恋愛を嫉妬したり妨害するなどは、実に卑怯未練といふべきものです。人格を備へたもののなすべき事ぢやありませぬ。このタラハン国は国が小さいから人間の心までが小さい。それで恋愛の冷却した女でさへ、自分の方に恋愛が残つてをれば無理に抑へつけ、一方の恋愛を犠牲にしやうとするやうでは、家庭が円満に行きませぬよ。また恋愛は倫理や道徳の範囲で律する事は出来ませぬ。お父さまは倫理や道徳を加味した恋愛論ですから、いはば偽の恋愛論です。社会の秩序だとか、家庭の円満だとかいつて、煩悶し焦慮し、却つて狭苦しい道徳をふりまはして、ますます家庭を紊乱し、社会の秩序を乱すやうになるのですよ。男子も女子も社会一般の人が雅量と理解とをもたねば、国家も家庭も円満に治まるものぢやありませぬわ。妻が夫に対する貞操は、妻以外の夫の恋愛者に対し少しの妨害もせず嫉妬もせず、むしろ好意をもつて夫の恋愛を遂げさするのは、つまり夫に対する妻の貞操ですよ。またこれに反する場合も同様で、夫が妻に対する貞操は妻の恋愛を遂げさせ、夫が妻に同情を寄せるのが、真に妻を愛する事になるのです。一夫一婦の制度をもつて国家存立の大本となす政体もあり、一妻多夫、多夫一妻を以て国本となす政体も世界にあるぢやありませぬか。男女が平均に生れる国では一夫一婦の制も結構でせうが、女が男より多く生れる国、または男が女より多く生れる国では、たうてい一夫一婦の制は守れますまい。それこそ却つて不道徳になるのではありませぬか。女の多い国では女の恋愛抹殺者が出来、男の多い国では男の恋愛抹殺者が出来るでせう。こんな悲惨な事が何処にあるでせう』『理窟はどうでもつくものだ。しかしながらタラハン国は一夫一婦が制度だ。これを破るものは道徳の破壊者だ。恋愛など末の末だ』『今日の世の中に大人物の現はれないのは、一夫一婦の制度が行はれてゐる弊害から来るのですよ。昔の神代の神様を御覧なさい。大国主の神様は打ちみる島の先々垣見る磯のさきおちず賢女奇女を娶り、国魂の神を生み、大人物を沢山お造りなさつたぢやありませぬか。スダルマン太子のやうな賢明な君子的人格者は、妾のやうな賢女奇女を、沢山娶ひ遊ばし、そして大人物を四方に配り遊ばしたら、きつと世の中はよくなるでせう。あんな大人物こそ沢山な女があつても、生殖の方から見て国家の宝を産み出す事になるでせう。これに反して愚夫愚婦といへど矢張り一夫一婦とすればガラクタ人間ばかり世に拡まり、ますます世は堕落するのみでせう。要するに社会道徳の上から考へて、立派な人間は天の星の数ほど沢山な怜悧子を生み、野卑下劣な半獣的人間は、なるべく子を産まないやうにするのが、国家存立の上にも個人経済の上にも有利でせう。お父さま、これでも不道理と聞こえますかな』『ハハハハ、まるで太子様を、種馬と間違へてゐるぢやないか。不都合千万な事をいふ奴ぢや』『その種馬におなり遊ばすのが、国の君たる方の御天職でせう。太子様のみならず、国の立派な人はみな種馬として社会に子を沢山産み落さなくては、社会の根本的改造はどうしても駄目です』『さうするとお前は太子様が沢山な女をおもちになつた時はどうするつもりだ。理論と実際とは大いに違ふものだから、その時になつて悋気の角を生やしたり、嫉妬の焔をもやしたり、その時に辛い目を味はつて見ねば解るまい。今こそ理論では立派なこと言つてるが実地になれば、さうは行かないよ。きつと悋気するに定つてゐるわ』『オホホホホ、そんな雅量のないスバールぢやございませぬ。妾だつて太子様以上に愛する男子が出来た時、太子様が故障を言はれるやうな事があつた時は、妾の方から御免を蒙るだけの事ですわ。一方の恋を圧迫し、どうして円満に行けますか。夫婦は家庭の重要品です。家庭と恋愛は別物ですよ。家庭は家庭として円満に行き、恋愛は恋愛として自由に行ふべきものです。太子様の上つ方から、こんな手本を出してもらはなくては、悋気とか姦通とか不道徳とかの、忌まわしい問題が絶滅せないのです。一夫多婦のモルモン宗を御覧なさい。決して沢山の妻の中に、悋気や嫉妬や、怨嗟などの声はありませぬよ。とに角、旧来の陋習を打破せなくては、家庭も国家も治まりませぬ。妾はスダルマン太子様こそは恋愛に対しても理解を持ち、また社会道徳に対しても完全に改良する資質をもつた方と伺ひました。それで恋愛はともかく、国家社会のため必要のためと欣慕のあまり遂に恋愛に転嫁したのですわ、ホホホホ』と十五才の娘にも似合はず、おひおひと心の生地を現はし、父のシャカンナを烟にまいてしまつた。シャカンナ『アアア、十年経てば一昔、この山の奥までも思想界の悪風は襲うて来たのかな』
(大正一四・一・五 新一・二八 於月光閣 北村隆光録)