「霊眼」『玉鏡』

 湯ケ島温泉に居て、百三十五ケ所の新名所を霊眼で見た儘、歌に詠んで置いた。或る名所の茶店には朝日煙草が三個しかなかつたのも見えたし、宿屋の看板から電話の有無まで見えて来る。霊眼で見て居ると、実物を見て居るよりも遙に美しく見える。恰もつまらぬ雪隠小屋でも写真で見れば美しく見えると同じ道理である。王仁の眼は空間的に遠近を問はないだけではなく、時間的にも時代を遡つて昔の事も見えるし、又これから先の事も見える。それでなくては皆を指導する訳には行かぬ。一寸先の事も見えぬのだから、お前達は小理屈を云はずに黙言つて(1){盲目滅法に}従いて来ればよいのである。